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フランス革命から4年後に「共和国美術館」という美術館がオープンしたのが、ルーブル美術館のルーツだそうです。その後展示品が増大するにつれ、もともと度重なる増改築で複雑な構造だったルーブル宮を美術館として運営し、一般の美術ファンに公開するのは多くの問題が発生してきました。
そこで1981年になって、当時のミッテラン大統領により「グラン・ルーブル」というルーブルの大改修プロジェクトが発動されました。今から24年前のことです。 |
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グラン・ルーブルにより、ルーブル宮中央のナポレオン広場にピラミッド型の入口が建設されました。そして、宮殿全体が三つの大きなウィング(翼)にまとめられ、それらがすべて展示に利用されるようになりました。
ピラミッド入口から入館し、エスカレータで地下の広場に入ると、このガラス張りの逆ピラミッドが輝いているのが見えます。
当時はルーブル美術館のイメージに合わないとして大変な論議が行われたようです。しかし、現在では別に違和感もなく、ルーブル美術館の新名所となっています。 |
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グラン・ルーブルの後の調査によって、ルーブルの入館者の70パーセントがダ・ビンチの名画 《モナリザ》 に向かうということがわかったそうです。そこで美術館当局は、年々ひどくなるルーブルの混雑を緩和するために、入館者を少しでも早く 《モナリザ》 の前に誘導し、そして少しでも早く 《モナリザ》 から離れてもらおうという作戦にでました(^_^)。
館内のいたるところに左の 《モナリザ》 へ誘導する看板があり、また、 《モナリザ》 にいたるルートはエスカレータにより入館者がスピーディに移動できるようになっています。 |
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私どもも、その看板に誘導されて、 《モナリザ》 のあるドノン翼の2階に急ぎます。その2階の入口になつかしい彫像「サモトラケのニケ」がそびえていました。
エーゲ海のサモトラケ島で発見されたこの彫像は、有翼の勝利の女神「ニケ」の像だそうです。現在は、大理石の船のへさきに乗った形で展示されています。
私ども素人は、もちろん、この見事な彫像の頭部が失われたのを惜しみます。しかし、かえって頭部がないほうがすばらしいのでないかという人もいるそうです。 |
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やっと、 《モナリザ》 の前に着きました。 私どもは、今回はカルト・ミュゼ(美術館共通入場券)は買わなかったので、ルーブル開館の30分前にピラミッドの前にきました。日曜日でしたが、早起きのおかげで行列の先頭となりました(^_^)。
入館後も、私どものプリンシプル「目玉に直行せよ」に従って、わき目も振らずにここにきたため、 《モナリザ》 の前にはまだほとんど人がいませんでした。
8年ぶりに再会したモナリザは、分厚い防弾ガラスの向こうに静かに微笑んでいました。近年の研究により、この名画にかかわるさまざまななぞが次第に解明されてきたとのことですが、私にはそのような研究はあまり関心がありません。この名画の前にきてモナリザの静かなたたずまいを鑑賞し、しばらく名画を見る至福で満たされる、これで十分ではないかと思います。 |
顔を防弾ガラスに近づけてみると、 《モナリザ》 の表面に細かなひびが無数に走っているのがわかります。 昔、 《モナリザ》 が日本にきたとき、私も見に行きましたが、今後はもう 《モナリザ》 がフランスを離れることはないでしょう。 |
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《モナリザ》 の前の人だかりがどんどんと増えてくる横をすりぬけるようにして、他の名画に向かいます。 左は、これも有名なラファエロの『美しき女庭師の聖母 』です。上のダ・ビンチの絵画を内面的・文学的というならば、『貝殻のビーナス』などで有名なボッティチェリの絵画は音楽的ということができましょうか。そして、ラファエロの絵画はまさに絵画的としかいいようがありません。
このように優美で人間的な聖母子像は、ラファエロの以前にも、ラファエロの以後にもまったく存在しません。一見、普通のお母さんが幼子をあやしているような優しさのうちに、聖母としての気品、威厳がにじみ出ています。
この近くには、レオナルド・ダ・ビンチの聖母子像もありましたが、これら二枚の名画を比較するとイメージがまったく異なるのに驚きました。 |
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ダ・ビンチ、ミケランジェロの両巨匠がかなり長生きしてのに対し、ラファエロは37歳の若さでこの世を去りました。奇しくも大作曲家モーツアルトと同じ長さの生涯でした。 |
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リシュリュー翼の3階には、ドイツ、オランダ、フランドルの名画が集中的に展示されています。下左は、北方ルネッサンスの巨匠デューラーの有名な自画像です。
デューラーは、1471年生まれということで、ダ・ビンチより20歳ほど年下、ミケランジェロより4歳年上となります。ダ・ビンチの内面性、文学的表現をもっともよく継承したのは、このデューラーではないでしょうか。また、銅版画を芸術的なジャンルとして確立したのも、デューラーの大きな功績のひとつです。
下右は、日本でも非常にファンの多い(実は、私もその一人です)フェルメールの作品です。フェルメールの生涯は不明の部分が多いのですが、大略レンブラントと同じころ、17世紀の初めから半ばにかけて、オランダで活躍したといわれます。 なにしろ、フェルメールの作品は、世界中に34点しかありません。フェルメールを所蔵するのは、世界中の大美術館のステータスシンボルです。このルーブルには2点あるのですが、そのうちの1点は現在出張中(たしか日本に?)で、この地球儀の作品だけでした。
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ルーブルの3階から、窓外西の方向を撮影した写真です。目の下、中庭にあった池はこのような形をしていたのがわかりました。その横に、カルーゼル凱旋門が立っています。
はるか前方に、エッフェル塔が少しかすんで見えます。左側に見えるルーブルの建物の向こう側に、セーヌ川の川筋があります。
なおこのルーブル美術館では、フラッシュを使わなければ、どこでも写真撮影が許可されています。また、受付に届け出れば、だれでもイーゼルを持ち込んで展示作品の前で模写ができるそうです。 |
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オランダの巨匠ルーベンスは、大きな展示室をひとつ占めています。中には壁一面を占めるほどの大作もあり、この大画家の旺盛な創作エネルギーに驚かされます。下左は、ルーベンスの黒衣の貴婦人像です。黒衣をつけビロードと思われる黒い帽子をかむっている貴婦人の威厳のある表情、明るい顔色、白い肩が印象的です。
ルーベンスは、弟子たちを動員して流れ作業で大作を描くことが多かったそうで、それを思わせるような安易な作品もかなりあるのですが、これはまぎれもない巨匠の傑作です。
下右は、日本では風景画家として知られているコローの『青衣の婦人像』です。実は、私はコローの風景画は好きではありません。その私が、前回ルーブルにきてコローの展示室をみて、非常に優れた人物像が多いので驚きました。この婦人像も、あの平明な風景画を描いたコローの作品とは思えないすばらしいできではありませんか。 |
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この巨大なルーブル美術館をウェブ1ページで紹介するのは、しょせんまったく無理な話です。最後は、もっともフランスらしい画家の一人ドラクロアのもっともフランスらしい作品を掲載することで締めくくりましょう。
実は、私は前回このルーブルにくるまでドラクロアをよく知りませんでした。ここで、ドラクロアの名作の数々を見て、初めてドラクロアの画業の大きさを知ったのです。フランス人には特にドラクロアに対する思い入れが強く、国民的画家という位置づけにあるようです。
そのドラクロアの傑作多い中でも、この『民衆を導く自由の女神』は別格でしょう。単に絵画として優れているというだけではなく、フランスという近代国家が誕生した原風景がここに描かれているからです。今後も、この名画はルーブルの象徴として人々をひき付けつづけるでしょう。 |