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古代ギリシャ風の壮大な教会マドレーヌ寺院からセーヌ河畔のコンコルド広場にいたる大通りが、ロワイヤル通りです。 この通りには高級食材店が多く、グルメの間では有名なところだそうです。 また、世界に名を知られている高級ブランドのショップもたくさんありました。
通りの途中で振り返ると、突き当たりにマドレーヌ寺院の巨大なファサード(正面)が見えました。 |
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この寺院のまわりは52本のコリント様式の大列柱で囲まれていますが、それらの石柱の高さは20メートルもあるそうです。 |
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ロワイヤル通りの反対側、南の方向を見ると、コンコルド広場が遠望できます。金のキャップをつけたオベリスク(尖塔)の向こうにセーヌ対岸の国民議会の建物があり、そのさらに奥にアンバリッド(廃兵院)の金色の大ドームが輝いています。
コンコルド広場から大凱旋門に向かうシャンゼリゼ大通りは大変幅が広いですが、この>ロワイヤル通りはそれほどでもなく、自動車で身動きできないような混雑でした。 |
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フランス人は、動きが軽快で燃費もよい小型車がお好みのようです。 |
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さらに南に向かって歩き、コンコルド広場につきました。ちょうど、広場名物の噴水が水を噴き上げたところでした。
この広場は、最初はルイ15世がつくったのでルイ15世広場と呼ばれ、ルイ15世の騎馬銅像が立っていたとのことです。その後、フランス革命の勃発によりルイ15世の銅像はあえなくお蔵入りとなりました。
やがて、ナポレオンがエジプト遠征から持ち帰ったオベリスクがこの地に立てられ、ほぼ現在の形ができました。 |
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オベリスクの先端に金のキャップが冠せられたのは、1998年のことだそうです。 |
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オベリスクの南側、セーヌ河畔に、モネの睡蓮連作を展示しているので有名なオランジェリ美術館がみえます。 現在は工事中で閉館しているので、今回は例の楕円形をした展示室にはいけませんでした。
このオベリスクは、ナポレオンはエジプトから贈与されたと称してフランスに持ち帰ったそうですが、実は勝手に持ってきたというのが真実のようです。 |
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コンコルド広場から北の方向、エトワール凱旋門にいたるのが、シャンゼリゼ通りです。幅70メートル、全長2キロにも及ぶ大通りで、パリを代表する目抜き通りとなっています。
通りの両側には、丈の高いマロニエの並木が二重に連なっています。パリは日本の北海道より緯度の高い場所なので、マロニエの並木はやっと新緑がはじまったところでした。
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これまで、私は秋にパリにきたことはありませんが、この大通りの黄落は実に見事だそうです。その時期のシャンゼリゼは、焼き栗が名物ですね。 |
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コンコルドからシャンゼリゼに入るところで、写真の銅像を見つけました。男性の騎馬像ですが、見たところ王様ではないようです。少し調べましたが、だれの銅像かわかりませんでした。どなたかご存知の方は、メールで教えてください。
前記ルイ15世の孫ルイ16世およびその王妃マリー・アントワネットは、フランス革命の際捕らえられ、もとルイ15世の名前を冠したこの広場で断頭台の露と消えました。 |
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その後しばらく、この広場は大革命広場と呼ばれたそうです。 |
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上の銅像のある場所から、南の方向、セーヌ河畔に向かって並木道がまっすぐに伸びています。 並木の樹種はくるみかと思われますが、ちょうど白い花をつけていました。昨日行ったマルモッタン美術館の近くでも、やはりくるみの木が花をつけているのを見ましたが、この地方はこの木が多いようです。
ベルサイユ宮殿で革命勢力に捕らえられたルイ16世一族は、ここのすぐ北にあるチュイルリー宮殿に幽閉されました。 |
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その後、まずルイ16世がこの広場で処刑されました。 |
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セーヌ河畔につくと、対岸に国民議会の建物が見えました。
革命が勃発した1789年、国王ルイ16世は民衆の要求に屈服し、174年ぶりに三部会を召集しました。そして、この三部会は全身分合同の会議国民議会に発展していきました。現在の国民議会は、フランスの下院を指しています。
太陽王ルイ14世が自分の娘ブルボン公爵夫人のために建てたブルボン宮が、現在国民議会のために利用されています。 |
ご覧のように、マドレーヌ寺院と似た古代ギリシャ風のファサードを持つ建物です。
パリ市が、2012年のオリンピック開催都市に正式に立候補したことを受けて、この国民議会の建物のファサードに "PARIS 2012" の文字が大きく掲示されていました。 |