女性と犯罪


法の支配135号(前田雅英)




 女性犯罪に関しては、中谷瑾子編『女性犯罪』(立花書房)が最も優れた研究書であるという評価が、学会において共有されている。ただ、残念ながら昭和62年に刊行されたもので、データは昭和60頃までのものに限られる。その後の20年間で、女性、そして日本社会の状況は大きく展開したように思われる。
 同書の基本的視座は以下の文に最も象徴されているように思われる(17頁)。
 「各種の女性犯罪に関する調査や統計は、女性として、また人間として多くの貧困を背負い、日本の家族や社会がいまだに残している封建遺制に苦しみ、逆境をはね返し得る能力や自制力、あるいは社会的資源を一時的にしても失った女性犯罪者の姿をあらわしている」。
 このような考えをもう一歩詳しく説明すると以下のようになる(15頁以下)。
 @女性犯罪が増加傾向にあるとはいえ、依然として、男性のそれに比較すると量的に見て少ない。
 A女性犯罪については、従来から、女性の相対的な身体的弱点、生殖様相等の生理的要因や、犯罪一家の中で育てられた場合、女性の社会的劣位等の社会的要因などから様々な検討がなされており、ある特定の犯罪・罪種についてはその説明で十分な場合もある。しかし、すべての場合に該当するわけではない。
 B一応の結論としていえることは、女性犯罪者の多くは、女性であるが故に犯罪に陥るが、同じ理由で軽い処分ですまされ、更生の機会を与えられるため、持続した犯罪者となる者が極めて少ないということである。
 C女性犯罪を調査してみると、多く見られる罪名は嬰児殺、堕胎、遺棄、売春、そして圧倒的に窃盗、それもほとんどが万引である。犯罪の対象が身近なものに集中しており、動機においても対人関係の葛藤からくる不満、羨望、嫉妬、怨恨などの精神的不調と深いかかわりがある。また、生活経験が育児、家事などの一定の日常生活の範囲内に限定されていることは、万引の多発からもうかがうことができる。
 D女性は日頃から忍従の中で生きているから、ギリギリのところまで追いつめられると一挙に異常な行動に出るのではないかといわれている。その忍耐強さは、女性の生物学的特徴であるだけではなく、社会の期待や要請によって維持され、補強されてきた。最も小さい社会の単位である家族の中から、封建制の名残が消え、不必要な抑圧がなくなることが、衝動的な家庭内殺人の防止につながると考えられる。
 E子捨て、子殺しに見られるように、家族の支持的機能の欠如又は脆弱化も、女性犯罪の素因の1つとなっている。家族制度の遺産と、進行する核家族化現象のあいだで、女性は自らの性を受け入れ、男女平等の原則のもとに男女が相互に補足し合う強固な家族をつくり、子どもを育てる責務を負わされている。
 F 欧米の女性犯罪研究者のあいだでは、「女性が社会に進出するにつれ、犯罪の機会が増大し、女性犯罪が増加する」という仮説がしばしば論議されているが、この仮説が、ただちに日本の女性犯罪の現状にあてはまるとは思われない。その理由は、「女性の万引」の大多数が、無職の家庭婦人によるものであるという事実である。
 G我が国でも、女性の社会的進出はめざましいとはいえ、女性勤労者の働く場所はまだまだ限定されている(農林漁業、サービス業従事者あるいはパート・タイマー等)。特にホワイト・カラーに限定してみれば、女性の社会進出はまだ十分とは言い難い。犯罪を犯す者も、従来は男性のものであった職域に進出しようとする者も、我が国でほまだ女性人口のうち選択された一部であって、両者は単純には重ならない。
 H女性の社会進出が著しい今日、女性が犯罪を犯す機会が増大していることは事実である。増加する女性犯罪を防止するためには、まず、女性自身が自己の立場と役割を十分理解し、真の意味での自主性と社会性を持もつことが重要である。

5 現在の女性犯罪
以上の分析には、現在でも説得性を持つものが多く含まれている。
ただ、@20年前に比し女性犯罪者が男性比でも相対的に増加し、男女の差が意識されなくなりつつあるように思われる。A女性の相対的な身体的弱点、社会的劣位等の社会的要因などから説明できる部分はますます少なくなったといってよい。逆にB女性犯罪者の多くが軽い処分ですまされ、更生の機会を与えられるため、持続した犯罪者となる者が極めて少ないという傾向は弱まってきているように感じられる。
 C女性犯罪の対象が家事・育児など身近なものに集中しているという点も、強盗の増加などに示されているように大きく変化してきているように思われる。女性による粗暴犯の増加も顕著である。
 D家庭から「封建遺制」が消滅すれば、不必要な抑圧がなくなり、衝動的な家庭内殺人の防止につながるという点は、ある意味では達成されたかもしれない。女性による殺人罪は増加していない。特に少女に関しては、嬰児殺を中心に殺人の割合は減少している。その反面で、進行する核家族化現象と女性の社会進出により、子育てに十分な力が注がれなくなったのではないかという懸念が生じたとも考えられる。その結果、少年犯罪が増加してきたのではないかという仮説も考えられるのである。ただこの点は、最近ものものというよりは、戦後ほぼ一貫して進行してきたように思われる。

   女性犯罪は戦後後半期から増加を始めた

女性犯罪は、1970年代以降増加をはじめていた。戦後前半期の「良好な治安」は、犯罪を犯さない女性が支えていた面がある。ただ、社会全体に存在した 「女らしさの呪縛」が、昭和40年代以降の女性の社会進出を背景に、次第に解けだしてくようにみえるのである。高度経済成長期に女性の就業率が徐々に低下して70年代に最低となる。これは、女性も重要な担い手であった第1次産業の衰退によって生じたものである。女性の社会進出は、戦後後半期に徐々に生じたといえよう。「戦後強くなったのは女性とナイロンの靴下」というような言葉はかなり古くから用いられていたが、女性の地位の変化は徐々に進行したといえよう。
 刑法犯検挙人員に占める女性の割合は、1970年頃から増え始めて、80年には全体の2割に達し、さらにごく最近増加傾向を強めようとしている。そして、女性の割合が増える傾向は、成人と少年で基本的に共通している。社会全体の構造の転換の中で、対男性との比較という視点からは、女性の犯罪関与は着実に増加したといってよい。
女性犯罪というと、万引きに代表される窃盗がまず思い浮かぶであろう。たしかに、窃盗が少女の場合にも大きな割合を占めている。そして、最近の少年犯罪の検挙人員率を異常な水準まで引き上げた元凶の第1は窃盗であろう。窃盗犯の3割は女性なのである。ただ少女に特徴的な犯罪とはいえない。成人も同じ率で犯すだけでなく、60年代から成人女性が成人窃盗犯の3割り近くを占めるようになっていたのである。女性犯罪の増加は60年代後半の窃盗罪に始まるのである。
 成人女性の刑法犯を犯す率は実はあまり変化していない。増えたのは主として少女の犯罪であり、その増加率は男子少年以上なのである。56年から98年の間に少年検挙人員率は2.8倍に増えたが、少女はなんと13.9倍になっていたのである。
少女に特徴的な犯罪としては、実は殺人罪を挙げなければならない。少年の殺人の半分以上が女性だったのである(そこには嬰児殺の存在が推測される)。しかし、75年以降は、むしろ成人の場合より、少年の殺人犯の中の女性率が低くなるのである。そして、検挙人員率で見ると、少女も含め女性の殺人犯は減少し続けてきた。
 そして、検挙人員中に占める女性の比率という意味で目立つのは、強盗罪と恐喝罪と傷害罪なのである。75年以降、少年の強盗事犯の中で女性の占める割合が異常に高まる。少女の強盗の増えた75年から90年にかけては、女性強盗犯の中での少年の割合が増加した時期であった。成人の場合は、必ずしも女性率は増加していなかった。

 女性の社会進出と犯罪の増加
 前述Fの「女性が社会に進出するにつれ、犯罪の機会が増大し、女性犯罪が増加する」という仮説は、やはり慎重な検証が必要であるが、どちらかといえば、この仮説を肯定することに用い得るデータが多いように思われる。そして「万引」の大多数はが無職の家庭婦人であったという事実は、もともとこの仮説を否定するのに、余り有力なものとはいえなかった(ちなみに、平成13年の数値では、窃盗を犯した女子検挙者が50612人中、主婦は10156人であった)。
ただ、女性の社会進出により女性が犯罪を犯す割合が増えるという問題は、実は重要ではない。女性の社会進出で心配されるのは、それと関連する離婚率の上昇・家庭の脆弱化であり、それによってももたらされる「家庭の犯罪抑止機能の低下」に起因する犯罪全体の増加なのである。
たしかに、離婚の増加と犯罪率の上昇は無関係ではない。そして、女性の社会進出と、離婚率の増加と犯罪率の増加も一定の因果性があることは、ある程度推定される。
 少年犯罪でよく言われる「犯人の少年は被害者である」という発言の具体的意味は、「あのような崩壊した家庭で育ったのだから、犯罪の道を歩んでもしかたがない」という内容のものである。家庭環境が犯罪の発生に大きな影響を与える因子であることを否定するものは誰もいない。
ただ、少子化は、女性の社会進出を当然要請する。労働力不足は、外国人に任せればよいというのは、非常に危険な発想である。外国人犯罪問題は非常に重い。
 もちろん、母親が子育てにエネルギーをかけることは素晴らしいことである。そのような家庭に育った子の方が、非行を犯しにくいこともまちがいないであろう。よい家庭がよい社会を産むこと、母親が常に家にいることが望ましいことも、ほぼ異論のないことであえる。ただ、時計の針は逆回りはしない。そもそも、女性も「社会で働く喜び」は、享受すべきであろう。少なくとも、男が一方的に、「女性にとっては、家庭での主婦業の方が社会進出より幸せである」と断定することはできない。
 そうだとすると、女性が社会進出を選んだとしても、「暖かい家庭」が子どもに与えられる道を模索するしかないのである。ただ、その前提として、女性の社会進出は、少年非行を増大する因子である確率が非常に高いという冷厳な事実もきちんと認識しておかねばならない。といことは、「家庭の愛」の為に誰がいかなることをなすべきかを、男女共に真剣に考えなければならないのである。「保育所の問題」等に矮小化されてはならないのである。